12年と1ヶ月勤めた会社を退職して思うこと

まさか自分が退職エントリを書く日が来るとは思わなかったのだけれども、
やはり人生の節目であるから記録に残しておきたいなと思った次第です。
とはいえ職務のことや会社のことはどうでも良くて、しかも個人的には円満退職だと思ってるので特に「今だから言うけど」みたいなことないです。流行りの内情暴露を期待した方がいらっしゃいましたらごめんなさいw

終わってみて思うことをつらつら書く感じですが、よろしければお付き合いください。ほぼ思いつくままなので、あまりまとまりはありません。解説記事でもないので読みやすくするための装飾もつけておりません。ご了承ください。




人は何故働けるのか

私のいた会社は産業用機器のメーカーでしたから、基本的にどの商品のことも「興味ない」んですよね。例えば、あなたが「今日からネジを売ってくれ」って言われても絶対テンション上がらないじゃないですか(ネジ会社さんごめんなさい、あくまで例です、あくまで)。

それはネジがどうでもいいものだからじゃなくて、自分と今まで関係がないからです。就活生で「僕は小さい頃からネジが好きで」っていう人見たことないですもん。そういう意味では家電メーカーに就活生が集まるのはわかりますよね。

でもね、うちの会社には全力でそれを売りに行く営業や、真剣に機能を検討する企画・開発がいるんですよ。最近は「やりたいことを仕事にしよう」「言われたことをやる人生はクソ」みたいな風潮も一部にはありますが、彼らは決して社畜ではなかったし、活き活きと仕事をしていました。

そうすると思うんですよね。希望通りの会社に行ったのに不満タラタラな人もいる一方で、意味わからん商品売らされてるのにものすごく一生懸命でどんどん成長していく人もいる。この違いって何なんだろうって。

もちろん、いろんな要素があることはわかってるんですが、その中の一つが「誰かの役に立つこと」だと思うようになりました。

人の役に立ちたい

また就活生の話になりますが、志望動機で「人の役に立ちたい」っていう人のなんと多いことか。僕はだいたい「すべからく仕事というものは人の役に立つものだから、それは志望動機にならんよ」という話をするわけです。ただ、この時話をしている仕事とは、エンドユーザーを見て言ってることなんですよね。でも実はエンドユーザーが見える仕事って、割合でいうと少ない方じゃないかなって思うんです。就活生がこぞって受けたがる有名メーカーも、GAFAも、ユニコーンベンチャーも、実際にユーザーがプロダクトを触ってハッピーになる瞬間を見られることはあまりありません。

では私達が関わり合える人たちは誰か。それは同じ職場の人たちです。隣の席の後輩や入社時からお世話になっている先輩がいて、わからないことを相談したり、難しい案件を助けてあげたりする中で目に見える人たちの役に立つことを通じて自分の居場所ができていくんです。

そこは身近な世界ですから、自分の能力が飛び抜けていなくてもいいんです。例えば僕がある時配属されたチームにはPowerPointを使える人がいませんでした。だからちょっとスライド作れるだけでものすごく人の役に立ちました。世の中にはもっとPowerPointが使える人はいるわけですが、その瞬間そこには私しかいないので、私に価値があったんですね。

そうすると「あいつに頼めばかっこいいスライドができる」ということになり、相談が舞い込むようになります。当然私ではできないこともあるんですが、頼られた以上調べたりしてなんとかしているうちに自分のレベルも上がっていきました。そうするとまた相談が来るんですよ。ある人の役に立つと、次の困った人が来るようになるんですね。それを続けているうちに、重要な新商品のカタログも作らせてもらえるようになりました。それは本当の私の職務じゃなかったんですけどね。

つまり、周りの人よりちょっと得意なことでいいからやり続けていれば、それだけで人の役には立てるし「ここにいて良かった」って感覚が得られる(人もいる)ってことなんですよね。

印象に残らなければ打席には立てない

でもこれは逆の面から見ると非常に残酷な現実も示しています。それは、どんなにきっちり仕事をしていても「言われたこと以上(以外)のことをやっていない人」は人の印象に残らず、上に書いたようなコミュニケーションが起こらないということです。

そうすると、職場での参加感、貢献感も得られず、仕事の意義を感じづらくなります。些細な管理制度がすごく鬱陶しく感じたり、細かい指摘にうんざりすることも増えるでしょう。しかし本人としては課された仕事はやっているわけですから納得のなさばかりが募ることになります。

このような人が抜擢されないのは誰かの悪意によるものでしょうか。そうではありません。誰もがちゃんと仕事をしてくれる人にチャンスを与えたいと思うはずです。しかし人の認知には限界があります。目立ったものでなければ印象に残りません。悲しいかな、「期日通りの100点の仕事」は、印象には残らない方の仕事になってしまうのです。メール一通の返事を取ってみても、納期当日に返事をしてくる人と即レスしてくる人では、双方とも期日に間に合っているのに印象はまるで違います。人の意識というものは、100点(期待値)を超えて初めて「おっ」と思うものだからです。

打席に立つには、人の印象に残ることが必要。その意味でも、自分の得意なことで周りの人の役に立つことは大切だということになります。

人は何故働くのか

ようやく退職エントリらしい自分の話になるんですが、私は随分いろんな人から目をかけてもらって、様々な打席に立たせてもらいました。そのおかげで、人より多彩な経験がつめたと思います。上に書いたようなことを意識していたわけではないので、これはもう上司の方々が目をかけてくださったとしか言いようがない。たまたまやった小さな仕事を目に留めていただいて、「次はあいつにやらせてみよう」という事になったのだと思います。

辞める直前くらいまで「俺もそれなりに経験を積んだな」くらいに思っていましたが、とんでもなくおこがましい話です。経験を積ませてもらえていたんですよね。

様々な人との関わり合いの中で、自分でも思ってもいなかった成長や気付きが生まれ、それを確かめようと大学院にも通い、今度は社外にも多くのつながりと学びが生まれることになりました。自分の研究が誰かの役に立つという社会的な喜びは、会社の中での貢献感を大きく超えるものでした。

それは大学院という部分だけでは生まれない道。会社で積んできた経験がなければ通り得なかった道でした。誰かのために頑張ることが、自分の大切なものを見つけることにつながる。そういうことなんだろうなと思いました。

その結果、去年の今頃私の眼前には、社内と社外2つの道が伸びていました。どちらも自分がやりたいと思える、素敵なチャレンジでした。ただ、白地図になっている外の道を行く方が今の自分にとっては価値のあることだと思えたのです。

やりたいことが見つからないと悩む人の多い日本で、こんな贅沢な悩みを抱えられた自分はなんて幸せなのだろうと思います。私を育て、支え、頼ってくれたすべての人達に感謝しています。

その感謝の念の分だけ、人は人のために働かなくてはいけない。そしてそれは滅私奉公ではなく、自分自身が活き活きと働く中で他者に貢献しなくてはいけない。それが主体的に働くということだ、と強く思います。

最後に

本当に考えなしに書き出したのでムダに長い、推敲もしていない投稿となってしまいました。もしもホントにここまで読んでくださった人がいらっしゃったらお礼と謝罪を申し上げたいと思います。

もしこれを読んでいる人がマネージャー以上の方であれば、是非部下の方の素敵な点を見出してあげて、それに見合ったチャンスを与えてあげてください。そしてそれを職場内でそれとわかるように展開してあげてください。きっとその人が輝き出すきっかけになると思います。

もしこれを読んでいる人がこれからの行く先に悩んでいる人だとしたら、まずは今の場所でできることを一生懸命やってみてください。なんとなくでそこから転職してもいいことはありません、多分。誰か信頼できる人と「今この仕事でより良くできるところは何か」を出し合ってみて、自分の強みを活かして実践してみてください。きっと誰かの目に留まります。そのきっかけが今後のあなたのキャリアを大きく変えるきっかけになるかも知れません。

そしていつか読み返すであろう自分に向けて、「初心を思い出せ」と添えて締めたいと思います。

お付き合いありがとうございました。

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