大統領を説得してイノベーションを成し遂げた男

タッシュマンとオライリーの本を遡って読んでいるんだけど、その冒頭で触れられているアメリカ海軍の例が奮っている。




その男、シムズ

19世紀当時、とんでもなく命中率の悪かった(実に1.3%)艦砲射撃の精度を上げるため、シムズという中尉がイギリスから伝え聞いた新しい手法を導入するというものだ。イギリスではこれを用いて命中率が3000%向上しており、シムズは当然のように本営にこの手法の採用を打診した。
 
しかしシムズの要請は無視された。ここからシムズの戦いが始まる。
 
激怒したシムズは大量の検証データを取って再要請→また無視→関係部署にも有用性を説いて回る→なかなか聞き入れられない→実地検証などもされるが、およそ実効性のない検証方法なので「効果なし」と判断される→「これを採用しない兵器局と本営はクソだ!」とブチギレる→職を解かれる という暴れっぷり。
 
職を解かれたシムズはそれまでの経緯をすべて取りまとめ、当時の大統領であるセオドア・ルースヴェルト大統領に送りつけた。これがどういうわけか大統領本人のところまで届いたようで、「やってみろ」ということに。
 
シムズは慣例や階級をブッちぎって大統領命令で新手法の実行責任者となった。

現場から起こっていったイノベーション

この事例から読み取れることはたくさんある。海軍が前例主義的で、保守的な組織であるとか、大統領の決断やシムズの行動の果敢さなどはすぐに目につくだろう。タッシュマンとオライリーはこれを導入として、いかに両利き経営が必要かを説いていく※。

私はそのプロセスにおいて、騒ぎ出したのが「尉官」であるというところ、そして彼がマージナルマンであったことが私は重要だと思う。

両利き経営ではマネージャーによるハイレベルな統合(一貫した矛盾への対処)によって、既存事業と新規事業のシナジーが生まれる、あるいは、それぞれの事業の独立性が保たれるとしている(私の理解では)。そしてそこには、マネージャーによる明確なビジョンと制度づくりが重要だ。しかしこれではイノベーションの起点がマネージャーにしかない。イノベーションにはトライ・アンド・エラーの繰り返しが必要だという話に基づけば、なかなかトップダウンの取り組みでは難しいだろう。取り組みの成否がマネージャーの去就に関わる政治的なイシューになるからだ。

それに対して、現場で日々生まれるイノベーションの種をうまくトライ・アンド・エラーに回すことができれば、組織全体としての試行回数は増やせることになる。この事例でも、海軍において尉官クラスは山ほどいるので、これは現場発のイノベーションといえる。ホゼリッツやロジャースの言うように、マージナル(境界)ではイノベーションが起こりやすい。その意味では、シムズはイギリスからこの技術を持ち込んでおり、やはり境界に立つ者だったと言える。

※タッシュマンとオライリーは「これは明らかに、イノベーションを組織に取り入れるやり方ではない」と明言しており、これをモデルとして両利き経営の話をしているわけではない。

意欲ある人は増えている

2017年に私が調査した7つの事例では、組織改革や新商品開発に取り組むコミュニティの発起人は何らかの形で会社とは異なるコミュニティを持っていた。そのうち3例は、会社側がそのアイデアをうまく吸い上げる方法を持っていたため、彼らにトライ・アンド・エラーを繰り返させた結果、事業化の一歩手前という所まで来ている。

シムズは直接大統領に働きかけるという手を打ったが、重要なのはそれを採用した大統領の寛容さだけではない。そこに至るまでにトライ・アンド・エラーを繰り返せた現場環境とシムズ自身の熱意だろう。シムズは最後の壁を直訴という方法で打ち破ったが、企業はこのような熱意ある人物をどう活かしていくかを考えるべきだろう。