ありもしない何者かになろうとしてはいけない

10代の頃は全能感しかなくて、気の合う仲間と「何でも」できるような気がしていた。
20代になるとだんだん社会が見えてきて、あれ? 「何でも」やれる、イケてる大人になるはずじゃなかったっけ? と思い出す。
30代になるころには、自分に「何か」を成し遂げることはできないと諦めだし、
40代を見つめては「俺は何者にもなれなかったなぁ」と感慨にふけりながら、SNSに踊るインフルエンサーの投稿に「いいね」を押す。

しかし、その「何か」とは何だったのか?
本当に得たい未来、実現したい成果、確かなWillがあったのか?
それもないのに走り出すことはできない。
走れないなら、何処にも届くことはない。

きっと人1人の口出し可能な世界は、せいぜい半径数メートルくらいしかない。

でも、何処かへ行きたいというwillがあれば、人とつながって線ができ、そのつながりが面になって、口出し可能な世界は広がっていく。そうすることで、ある人は「その人」になっていく。よくわからない「何者か」になるのではなく「その人」として認められていくのだ。

だから、小さなチャレンジを笑ってはいけない。一歩踏み出すことを忘れてはいけない。Appleはガレージから始まったし、Facebookも学生の思いつきだった。ラーニングコミュニティを作って社長賞をもらった若手もいるし、工場の現場勤務から新規事業責任者になった女性もいる。そしてみんな、「隣の誰か」と始めたのだ。

そしてその一歩は、年齢に関係なく踏み出せる。そのために、学び、つながり、発信し、間違えて、正し、また次の一歩を踏み出せばいいのだ。

その結果がどんなに小さくても、きっとやる前とは世界が180度違って見えるに違いない。

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