このブログを作るきっかけにもなった最初の記事が、今も細く長く反響をいただくのでもう少し思うところを書くことにしました。はじめに断っておくと、これは全ての人に当てはまる話ではないのは承知の上です。
↓最初の記事
なぜ「あの人」を憎めないのか
ビジネスにおいて成果は絶対です。営業成績の悪い営業マン、コードの書けないエンジニア、企画の出せないプランナーなどはいる意味がないのです。ビジネスマンはその役割において期待された成果を出すから意味があり、期待を上回る事によって価値を出す生き物なのです。
だからそれができない人たちは、ビジネスマンとして「正しくない」という扱いを受けやすくなります。「正しくない」ものは正さなくてはなりません。だから指導する側には罪悪感や間違ったことをしているという意識はありません。おおかた「指導してやるのがこいつのため」あるいは「結果を出さないやつを何とかしなくては」というような感じでしょう。そこに人を人として扱うコミュニケーションはなくなっていき、その指導は相手が「正しく」なるまで止むことがないのです。
このような世界の中では、悪いのは「正しくない」自分。だから心を壊す人は、誰かを呪わず自分を責めます。告発することがあっても、それは時間をかけて様々な事を整理できた後になってしまうのです。
「正しさ」は人を抑圧し続ける
「正しさ」を執行することには終わりがありません。そこには外部からの直接的な圧力だけでなく、毒のように胸に留まり続ける自己批判があるからです。そのため、当事者は一時も開放されません。むしろ、「正しさ」を獲得するために自ら進んで早朝出勤し、深夜残業し、休日も働くことになります。
前回「真面目な人ほぼ盲目になる」と書きましたが、それは「正しくなれないのは自分が至らぬからだ」と思い、頑張り続けるからなのです。
しかし当然そんなことをしていては創造性は失せ、パフォーマンスは低下し、体調は悪化します。そしてさらに立場が悪くなり、自己嫌悪に陥るという負のスパイラルに陥るのです。
上司のあなたは、その人を救うことができる
あなたが誰かの上司ならば、私はその役割はとても大きいと感じています。
ある人を1週間、あるいは1ヶ月、場合によっては1年、休ませるつもりはありますか。
帰ってきたその人を迎え入れてあげるために、万全の体制をとってあげられますか。
私にはこの2つを許してくれた上司がいたから、今また会社に行くことが出来ています。きっと関連部署といろいろとご調整いただいたことでしょう。どれだけ感謝しても足りません。
しかし多くの場合、難しいと感じられる人が多いのではないでしょうか。誰かを特別扱いする不公平感。イレギュラーな対応を強いられることへの負担。会社制度との不適合。そういったものから往々にして、個人が犠牲になることは多いと思います。しかしその判断の基準が会社にとっての「正しさ」に立脚していることに気づいて欲しい。あなたは、自分の大切な人が同じ状況だったとしたら同じ判断をするでしょうか。そこで天秤にかけられているのは、1人の人間の人生だということを忘れないでください。「会社のルールだから」で簡単に切り捨てて良いものでは無いはずなのです。
当事者のあなたへ
会社を休もうという話は前回の記事参照。
もう1つオススメしたいのは、会社以外の居場所を持つことです。
私はMBAに在学している中で、自分のアイデンティティや価値を再認識することができました。会社の中ではある意味偏った「正しさ」でしかあなたは測られません。しかしそれがあなたの全てでないことは明らかです。しかし会社の中にしかいないと、そんな当たり前のことも忘れてしまうのです。
異なる価値観や、自分の思う「正しさ」が許容されるコミュニティに属することで、あなたは自分らしさや本当に大切に思うことを取り戻せるはずです。
僕の研究が、そういったことにも役立つといいなぁ。